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東京高等裁判所 昭和32年(行ナ)65号 判決 1963年2月25日

原告 岡田介一

被告 日本弁護士連合会

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

原告代理人は、被告が昭和三十二年十一月五日原告に対してした異議申立棄却決定を取消す、埼玉弁護士会が原告に対してした退会処分決定を取消す、との判決を求め、その請求の原因として次のとおり述べた。

一、埼玉弁護士会は、昭和三十二年三月二十日会員(昭和三十年二月十一日入会)の弁護士である原告に対し、左記第一及び第二の事実を認定し、第一事実については弁護士法第二十条第二十一条、第二事実については同法第二十二条埼玉弁護士会会則第十五条に違反するものとし、同法第五十七条第三号により退会を命ずる旨の懲戒処分をした。

(一)  第一事実。

原告は、浦和市仲町三丁目五八番地松永信敬方を法律事務所として埼玉弁護士会に届出でながら、同所では法律事務を執らず、東京都練馬区仲町一丁目二五二六番地で同弁護士会入会以来昭和三十二年三月初旬まで法律事務を執つていたものである。

(二)  第二事実。

原告は、昭和三十年十一月二十四日東京都板橋区徳丸本町所在大木伸銅株式会社からミトワ電機株式会社に対する仮差押の保証金に使用する趣旨で、右大木伸銅株式会社取締役兼支配人阿久津好胤から金十万円を預り、当時内金七万円を右仮差押の保証金として供託したが、執行不能となつたので、同年十二月二十六日頃その取戻をしたところ、その後右阿久津より再三右金十万円の返還を求められたにもかかわらず正当の理由なくしてその返還をしないものである。

二、原告は埼玉弁護士会の右懲戒処分に対し被告に異議の申立をしたところ、被告は昭和三十二年十一月五日原告に対し次の理由により右異議申立の理由なしとしてこれを棄却する旨決定し、右決定正本は同年同月六日原告に送達された。

しかして被告が右決定において右第一及び第二の事実に関し認定した事実及び判断の要旨は次のとおりである。

(一)  第一事実について。

原告は(イ)届出事務所でない自宅において主として執務していた。(ロ)事務所の表示として右届出事務所と共に東京都中央区兜町二ノ二二東京住宅ビル三階と併記した封筒を職務上使用し訴訟関係者に通信した。(ハ)職務上使用する名刺に事務所として東京都台東区御徒町三ノ八八番地手代木隆吉法律事務所と記載し訴訟関係者に交付していた。原告のこれらの行為は弁護士法第二十条に違反し弁護士として許されない行為である。

(二)  第二事実について。

原告は大木伸銅株式会社からミトワ電機株式会社に対する売掛代金請求訴訟の委任を受けた。その委任の範囲は仮差押申請及びその執行と訴訟提起とであつて、原告は着手金及び費用のほか仮差押の保証金として金十万円を預つた。原告は直に仮差押命令を得て執行したが執行不能となり、供託金七万円は昭和三十年十二月十六日供託局から払戻を受けた。売掛代金の一部請求の訴訟を提起した。委任会社は昭和三十一年七月四日原告に対し右訴訟委任の解除と保証金十万円の返還請求の通知をし、破産申立については原告の助言があつたのにかかわらず委任会社にその意思がなく委任状を交付しなかつた。そして原告は昭和三十二年三月十九日委任会社へ右金十万円を返還し、懲戒申立の取下書は弁護士会の懲戒委員会の裁定終了後委任会社から同弁護士会に提出された。原告は右仮差押が執行不能となり一応事件が終了したのであるから、昭和三十年十二月十六日(供託金払戻の日)かおそくも委任会社から返還請求を受けた昭和三十一年七月四日に右金十万円を返還すべきものであり、原告が後に金十万円を返還したとしても、委任会社から返還請求を受けた返還すべき時期に返還せず、依頼者との間に紛議を惹起せしめ、しかも返還せざる正当の理由がないことを自ら認めて返還したものであることは、弁護士法第二十二条埼玉弁護士会会則第十五条に違反し弁護士の品位信用を害する行為である。

三、しかし被告及び埼玉弁護士会の右決定は次の理由によりいずれも違法不当である。

(一)  第一事実について。

(イ)の点については、弁護士法第二十条の趣旨は法律事務所を一個に限定しただけのもので、執務場所を一個に限定したものではないのであり、事務所と自宅が別個の場合において自宅で執務することは別段非難さるべきことではない。原告のように浦和市における事務所開設後日が浅く、同所における事件がない場合においては、自宅において執務することは便宜上当然のことである。右届出事務所にも自宅にも電話の設備はなかつたので、連絡は速達郵便で処理することとし、その必要上印刷した封筒(甲第四号証)を事務所に常備していた。しかも原告は時折届出事務所へ赴き、裁判所からの特別送達も同事務所宛にされていたのであるから、右自宅執務をもつて弁護士法第二十条の法律事務所単一主義に反するものとはいわれない。

(ロ)の点については、原告が被告認定のゴム印顆を押捺した封筒を使用したことはあるが、それは東京ビルに関する訴訟を手代木弁護士と共同で受任した際、同弁護士において同ビルの空室となつた三階に事務所を開設する予定であつた関係から原告において右ゴム印顆を作製したものであるところ、同弁護士は右事務所を開設するに至らなかつたので原告も右事務所を使用するに至らなかつたものである。従つて原告がたまたま右封筒を使用したからといつてこれをもつて直に原告が同所に事務所を開設し届出事務所と共に複数の事務所を開設したものとはいわれない。

(ハ)の点については、原告が被告認定の名刺を使用したことはあるが、それは昭和二十六、七年当時のことであつて、仮にそれが弁護士法第二十条に違反するとしても、すでに同法第六十四条の三年の除斥期間を経過したものであるからこれをもつて本件懲戒の事由とすることはできない。

右の次第で、被告及び埼玉弁護士会が右第一事実についてした判断は法律の適用を誤つた違法がある。仮にそうでないとしても、右事実を理由として退会を命ずる懲戒処分をすることは甚しく不当である(なお埼玉弁護士会が第一事実について弁護士法第二十一条に違反するとした点の理由のないことは被告も認めたところである)。

(二)  第二事実について。

原告は昭和三十年十一月二十三日前記委任会社から訴訟委任を受け、仮差押保証金として金十万円を預るや直に手続を開始し、仮差押の執行を二回にわたり実施したがいずれも執行不能となり、保証金の取戻をした。その直後中間報告及び爾後の方針を協議するため委任会社を訪問し、同会社取締役兼支配人阿久津好胤と協議の上、更に浜松市におけるミトワ電機株式会社の分工場で仮差押をすることとし、右金員をその保証金に使用することとし、右浜松工場の所在及び物件の存否等の調査は委任会社で行つた上これを原告に報告することとなつた。その後それについて委任会社から何の報告もなかつた。又原告は右阿久津に対し破産の申立をするのが妥当である旨を話し、破産手続費用として前記仮差押の保証金として預つた金十万円を流用することにつき同人の同意を得た。それで原告は破産手続を開始するため翌昭和三十一年二月頃及び五月頃の二回にわたり委任会社に対し委任状用紙を送付し、社長の署名押印をした上返送するよう申出でたところ、委任会社は原告に対し昭和三十一年七月四日付内容証明郵便をもつて、突然、破産申立を欲せず訴訟委任を解除する旨及び右保証金十万円の返還請求を通知してきた。右のように、保証金に関しては仮差押の執行不能となつた直後右阿久津との間に浜松工場の仮差押手続及び破産申立に関する費用に流用する旨協議しており、又売掛代金請求訴訟についてはすでに訴状を提出していたが未だ具体的報告を要する時期に至つていなかつたものである。更に原告は当時名古屋における事件の処理に焦慮していたため名古屋に滞在することが多かつたが、委任会社と原告の自宅とは近接しており、何等居所の確知を困難ならしめていたようなことはないのであるから、訴訟委任解除の理由となるほど特段の信頼感を喪失せしめたものとは考えられない。従つてこれらを理由とした委任会社の一方的訴訟委任の解除は、日本弁護士連合会会規第七号報酬基準規定第六条にいう弁護士の責に帰することのできない事由で弁護士を解任したことに該当するから、原告は委任事件の謝金全額を請求できるものである。それで原告は弁護士会の紛議調停の規定に則り弁護士会に調停の申立をし、右調停の結果に従う意思からその調停の成立するまで保証金十万円の返還を留保することとし、これを返還しなかつたものである。右のように原告は、訴訟委任の解除までは破産手続の流用費用等として、又それ以後は報酬額の確定するまで留保するという正当の理由があつて右金十万円の返還をしなかつたものである。

右の次第で、被告及び埼玉弁護士会が第二事実についてした認定は事実を誤認したものであり、これに基く判断は違法である。仮にそうでないとしても、原告は、埼玉弁護士会が原告の紛議調停の申立を無視しこれを紛議調停委員会に付する様子がないので、昭和三十二年三月十九日委任会社に右保証金十万円を返還した。そして委任会社は同弁護士会に対し原告に対する懲戒申立の取下をした。従つて右保証金に関する問題を理由として原告に対し退会を命ずる懲戒処分をすることは甚しく不当である。

四、以上により原告は被告に対し、被告及び埼玉弁護士会のした前記決定の取消を求めるため本訴請求に及ぶものである。

被告代理人は、請求棄却の判決を求め、答弁として次のとおり述べた。

一、原告主張の一の事実及び二の冒頭の事実はこれを認める。

二、被告が第一及び第二の事実に関し認定した事実及び判断の要旨は次のとおりである(乙第一号証議決書の理由第三参照)。

(一)  第一事実について。

原告は埼玉弁護士会に入会するに際し、法律事務所として浦和市仲町三丁目八五番地松永信敬方を届出でた。原告は埼玉県下では訴訟事件を一件も委任を受けていなかつた。届出事務所には時偶赴くことがあつた。届出事務所宛に東京又は名古屋の裁判所から訴訟上の特別送達を受けたことがある。原告は主として自宅の東京都練馬区仲町一丁目二五二六番地において執務していた。原告は弁護士として職務上使用する封筒に、原告の事務所の表示として浦和市仲町三ノ八五と東京都中央区兜町二ノ二二東京ビル三階と並べて刻んだ一個のゴム印顆を作製し、これを押捺使用して訴訟関係者に通信し、又弁護士として職務上使用する名刺に原告の事務所の表示として東京都台東区御徒町三ノ八八番地手代木隆吉法律事務所と印刷したものを訴訟関係者に交付していた。右のように原告は弁護士として職務上使用する通信用の封筒又は名刺にそれぞれ異る法律事務所を表示して訴訟関係者に面接していたため、依頼者をして原告の居所不明の感を抱かしめた事例さえもあつたのである。

以上に認定した事実によると、原告の行為は弁護士法第二十条に違反するものである。

(二)  第二事実について。

原告は昭和三十年十一月二十三日大木伸銅株式会社からミトワ電機株式会社に対する売掛代金百五十六万余円の取立のために訴訟の委任を受けたが、その委任の範囲は仮差押申請及びその執行と訴訟の提起とであつた。そして訴訟用委任状二通と供託局用委任状一通の交付を受け、着手金及び費用として金五万二千円を収受した。右仮差押については同年十一月二十四日保証金として金十万円を預つた。原告は直に仮差押命令の申請をし保証金として金七万円を供託し、命令正本に基いて仮差押執行をしたが執行不能に終つた。供託金七万円は昭和三十年十二月十六日原告が供託局から払戻を受けて受領した。大木伸銅株式会社は原告の届出事務所及び自宅に再三再四使を出して連絡を求めたが連絡できず事情が判明しないので、昭和三十一年五月下旬東京地方裁判所及び東京供託局で調べたところ、保証金は金十万円でなく金七万円で、しかも原告はすでに払戻を受けてこれを受領していたものであることを知つた。同会社は昭和三十一年七月四日原告に対し訴訟委任の解除と保証金十万円の返還請求を通知した。訴訟事件については約束手形金請求にするか又は売掛代金請求にするかは原告の判断に一任されていた。原告は売掛代金の一部金額について東京地方裁判所に訴訟を提起したが、口頭弁論は第一回から休止となり、休止期間満了で訴訟は終了した。破産の申立については原告の強力な助言があつたにもかかわらず委任会社はその意思がなくその委任状の交付を拒んだ。報酬については口頭でも文書でも何等の取りきめもなかつた。原告は異議審の審査の日までに一度も委任会社と親しく会見して本件の紛議について協議を遂げたことはなかつた。委任会社では原告に対する訴訟委任によつて委任の目的が達せられなかつたと主張している。保証金十万円は昭和三十二年三月十九日委任会社へ原告の代理人弁護士手代木隆吉が持参弁済した。埼玉弁護士会の懲戒委員会の裁定終了後、懲戒申立の取下書が同弁護士会に提出された。以上に認定した事実によると、原告の行為は弁護士法第二十二条埼玉弁護士会会則第十五条に違反するものである。

(三)  被告は、以上によつて審査した結果、埼玉弁護士会が原告に対し弁護士法第五十七条第三号により退会を命ずる旨の懲戒処分をしたのは相当であり、原告の被告に対する異議申立は理由がないと判断したものである。

三、よつて原告の本訴請求は失当である。

証拠関係。<省略>

理由

原告主張の一の事実及び二の冒頭の事実は当事者間に争がない。

一、先ず原告主張の第一事実について判断する。

原告が埼玉弁護士会に入会するに際し法律事務所として浦和市仲町三丁目八五番地松永信敬方を届出でたこと、原告は埼玉県下では訴訟事件を一件も委任を受けていなかつたこと、原告は届出事務所には時折赴き又同事務所宛に裁判所からの訴訟上の特別送達を受けていたが、主として自宅の東京都練馬区仲町一丁目二五二六番地において執務していたこと、届出事務所にも自宅にも電話の設備はなかつたこと、原告は事務所の表示として浦和市仲町三ノ八五と東京都中央区兜町二ノ二二東京ビル三階と並べて刻んだ一個のゴム印顆を作製所持してこれを封筒に押捺使用したことがあること、及び事務所の表示として東京都台東区御徒町三ノ八八番地手代木隆吉法律事務所と印刷した名刺を使用(但し右名刺使用の日時の点には争がある)したことがあることは、いずれも原告の争わないところである。

当裁判所において成立を認める乙第三号証、第四号証のうち申立書の分、第五号証、原本の存在及び成立に争のない同第四号証添付書類五、八号写の分、成立に争のない同第六号証、甲第八、十号証、証人阿久津好胤、初見太郎、松永とみの各証言を綜合すると、原告の前記届出事務所は、知人である前記松永信敬方の二階六畳の一室を借受けたものであるが、当時原告は月一回又は二月に一回位行つて泊つたりする程度で、事務員等は置かず郵便物類は右松永方で受取つていたものであること、大木伸銅株式会社の取締役兼支配人である阿久津好胤は右会社が昭和三十年十一月二十三日原告に委任した訴訟事件に関し、原告と連絡しようとして再三届出事務所に使を出したが、不在で容易に連絡できなかつたこと、原告の自宅は所属弁護士会の地域外である前記東京都練馬区仲町一丁目にあつたが、原告は主として右自宅で執務していたものであること、もつとも原告は名古屋に出張する等で右自宅でも不在のことが少くなかつたこと、原告は昭和三十一年七月職務上使用する封筒に、事務所として、届出事務所と前記東京都中央区兜町の東京ビル三階と並べて刻んだゴム印顆を押捺したものを右阿久津支配人に交付使用し、又昭和三十年九、十月頃職務上使用する名刺に事務所として前記手代木弁護士の事務所を印刷したものを依頼者である初見太郎に交付使用したことが、いずれも認められる。原告本人尋問の結果中右認定に反する部分は採用し難く、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

なお成立に争のない甲第十四号証中の第一の(五)記載部分及び原告本人尋問の結果を綜合すると、原告はその後特に事務所移転の必要はなかつたが、所属弁護士会で事務所のないことが問題にされているようなことを聞き、事務所設置を明かにする目的で、昭和三十二年三月一日事務所を浦和市別所一六四五番地(知合の小茂田定雄の経営する木工製作所の営業所内)に移転し、同月四日所属埼玉弁護士会にその移転届出書を提出したが、手数料を納付しなかつたため被告に進達されず、従つて被告の名簿にも登載されず、又右移転事務所には若干の椅子テーブルを用意し事務員等も雇入れたが、右事務員等は用事がない等のことから止めてしまい、結局そのままの状態で現在に至つている事情にあることが認められる。

思うに、弁護士法第二十条は、弁護士は所属弁護士会の地域内に法律事務所を設けなければならないものとし、いかなる名義をもつてしても二個以上の法律事務所を設けることができない旨を定めているが、その趣旨は、弁護士の法律事務所は、その職務上の本拠としてこれを所属弁護士会の地域内に設け且単一明確にしておかなければならないのであり、そのことが弁護士会の秩序を保持し弁護士の品位を維持するに欠くことのできないものであることを明かにしたものということができる。しかるに右認定事実によると、原告は、実際には届出事務所を職務上の本拠としていたものではなく、却て所属弁護士会の地域外にある自宅で主として執務していたものであることが明かであるばかりでなく、原告は依頼者に対し事務所として届出事務所と前記東京都中央区兜町の東京ビル三階とを並べて刻んだゴム印顆を押捺した封筒を使用し、又名刺に事務所として前記手代木弁護士の事務所を印刷したものを使用したものであるから、原告の行為は前記弁護士法第二十条に違反し弁護士の品位を失うべき非行があつたものといわなければならない。

原告は、届出事務所と自宅と別個である場合において、自宅で執務することは非難さるべきことでない旨主張するが、届出事務所は職務上の本拠として設けられるものなのであるからその補助的な意味において自宅で執務するのは格別、右認定のように届出事務所は実際には職務上の本拠でなく、却て所属弁護士会の地域外にある自宅執務が主とされているようなことは、前記法条の法意に副うものとはいわれない。原告は、届出事務所と自宅との連絡は、いずれにも電話の設備がなかつたので速達郵便で処理することとし、その必要上印刷した封筒(甲第四号証)を右事務所に常備していた旨主張するが、このことだけから前認定を左右するに足りるものとは認められない。又原告は、前記ゴム印顆に届出事務所と並べて刻んだ東京都中央区兜町の東京ビル三階は、その主張のような事情で一時手代木弁護士が事務所開設を予定したものに過ぎず、原告は同所に事務所を開設したものでない旨主張するが、右のようなゴム印顆を押捺使用すること自体が右法条に反するものであることはいうまでもない。なお原告が法律事務所として届出事務所でなく前記手代木弁護士の法律事務所を印刷した名刺を使用したことが、右法条に反するものであることは明かであるが、原告はこのような名刺の使用は昭和二十六、七年当時のことであり、もはやこれを懲戒の事由とすることができないものである旨主張するけれども、この点は前認定のとおりであつて原告の右主張は採用することができない。

二、次に原告主張の第二事実について判断する。

原告が昭和三十年十一月二十三日大木伸銅株式会社から訴訟委任を受けたこと、原告が同年十一月二十四日右委任会社から仮差押の保証金として金十万円を預り、直に仮差押申請をし、保証金七万円を供託して仮差押命令を得その執行をしたが、執行不能に終つたこと、右保証金七万円は原告において同年十二月十六日供託局から払戻を受けて受領したこと、委任会社は昭和三十一年七月四日原告に対し右訴訟委任の解除と保証金十万円の返還請求を通知したが、原告において右返還に応じなかつたこと、原告は委任会社取締役兼支配人阿久津好胤に対し破産申立について助言したこと、右保証金十万円はその後昭和三十二年三月十九日原告から委任会社に返還され、同日原告に対する懲戒申立の取下書が埼玉弁護士会に提出されたことは、いずれも当事者間に争がない。

前掲乙第三号証、第四号証の申立書及び添付書類五号写、原本の存在及び成立に争のない同第四号証添付書類一ないし三、七及び八号写、前掲甲第八、十号証、成立に争のない同第七、九、十一号証、第十二号証の一ないし四、証人阿久津好胤の証言及び原告本人尋問の結果の一部を綜合すると、右委任会社取締役兼支配人阿久津好胤は、鶴田秀男の紹介により、原告に対しミトワ電機株式会社に対する売掛代金百五十六万余円の取立のために前記訴訟委任をし、その委任状を交付し、原告は着手金及び費用として金五万二千円を収受したものであること、その後原告は昭和三十年十二月十日右阿久津支配人に対し、仮差押執行が執行不能に終つたことや浜松工場の方も名古屋に出張する折に調べて何等かの手を打つようにするが最後には破産申立も考えられるとしてその申立をすることを助言したが、右阿久津は右浜松工場の所在及び物件の存否等を調査報告することを約束したことはなく又破産申立については同意せずこれを委任したこともなかつたこと、その際右阿久津は原告に対し経理の方の都合もあるから仮差押につき供託した金の受領証を預りたい旨申し述べたが、受領証はないといわれ多少気がかりを残していたところ、その後再三原告と連絡しようとしたが、前記届出事務所に使を出しても不在で容易に連絡できず、自宅に赴かせても名古屋に出張している等ということであり、又前記鶴田秀男に連絡方を依頼しても容易に連絡がとれず、原告からも何の連絡もなかつたので、止むなく昭和三十一年五月下旬裁判所に赴いて調査した結果、右仮差押保証金は金七万円だけ供託したものであり、しかも昭和三十年十二月十六日すでに原告において払戻を受け受領していることを初めて知つたこと、ところがその後昭和三十一年七月一日付原告から右阿久津支配人に宛てた手紙で、破産申立についてはすでに右阿久津の同意を得前記十万円の保証金は破産申立の予納金に流用することに諒解を得たものであるかのような趣旨を記載し、これに使用する委任状用紙を同封し、記名捺印の上返送されたい旨を申し送つてきたので、右阿久津は、原告のいうところは事実に反し、原告において故意に保証金を利用して返還しないものとして、原告に対し甚しく不信の念を抱き、同月四日付書留郵便で、訴訟委任を解除し関係書類及び保証金十万円の返還を求める旨を、原告の届出事務所のほか念のため自宅及び人を介して知つた原告の名古屋における出張先に宛てて発送したこと、しかるにその後も原告から右保証金の返還について何等の申出もなかつたので、右阿久津はついに昭和三十一年八月八日付書面で埼玉弁護士会宛に原告の懲戒を求める旨の申立をしたこと、一方原告は名古屋から同年八月七日付はがきで右阿久津に対し、ミトワ電機に対する裁判は来る十日と指定されているが、先般来の書面の趣旨に照し自分は進退きわまつているのでともかく一先ず貴意を尊重して欠席し延期しておくから鶴田を通じ指示されたい旨を申し送つたので、右阿久津は原告に対し同月十三日付はがきで、この件についてはさきに七月四日付通知のとおりで関係書類及び保証金の返却を求める旨回答し、次で同月二十五日付内容証明郵便で同趣旨を申し送つたこと、右阿久津は右ミトワ電機株式会社に対する訴訟が提起されたことは原告からの右昭和三十一年七月一日付書面でこれを知つたが、その後の経過は同じく右同年八月七日付はがきで初めてこれを知つたものであること、右訴訟事件は口頭弁論期日に原告が出頭せずそのまま休止満了となつたこと、右訴訟委任の報酬については右阿久津と原告との間に別段の取りきめはなく原告からの別段の申出もなかつたものであること、原告は右のように保証金十万円の返還請求を受けた後も昭和三十二年三月十九日までこれを返還しなかつたものであることが、いずれも認められる。甲第七、十四号証、乙第四号証添付書類五号写、証人鶴田秀男の証言、原告本人尋問の結果及び乙第三号証の原告に対する聴取記載部分中のそれぞれ右認定に反する部分は、前掲証拠に照し採用し難く、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

およそ弁護士は、その使命及び職責にかんがみ、依頼者の委任の趣旨に従つてことを処理し、その委任外のことについては依頼者の意思に反してこれを処理することの許されないのは勿論、常に依頼者との連絡にこと欠かないようにし随時事件処理の経過その他必要な事柄を報告了知させるなど、苟くも依頼者をして弁護士に対する不信の念を抱かせないように努め、これがために特にその言動に慎重でなければならないことはいうまでもないところであつて、原告所属の埼玉弁護士会がその会則第十五条(乙第七号証)に、会員は、弁護士としての使命と職責にかんがみて、綱紀を保持し、弁護士道徳を確立し、その実践に努めなければならないと定めているのも、この趣旨を除外したものではなく、それらのことが弁護士の品位を維持するに欠くことのできないものであることを示したものであることは明かなところである。しかるに右認定事実によると、原告は、前記のように、委任会社の阿久津支配人に対し突然委任外の破産申立についてその手続をすること及びさきに仮差押保証金として預つていた金十万円をその予納金に流用することの諒解を得ていたかのような書面を送り、その間長期にわたり右阿久津に対し連絡をしなかつたので、右阿久津は原告に対し甚しく不信の念を抱き委任の解除及び保証金の返還等を求めたのであり、このような場合に依頼者において原告に対し不信の念を抱くべきことは十分に首肯されるところであつて、原告としてはできるだけ速かに右阿久津と連絡をとりその不信を解くことに努めなければならない筋合であるのに、原告はこれに対しても十分な連絡をとらず右保証金を返還することなく経過したため、ついに右阿久津から所属埼玉弁護士会に懲戒申立書を提出されるに至つたものであるから、原告の右行為は前記弁護士として要請されるところに違反するものであり、弁護士法第二十二条埼玉弁護士会会則第十五条に違反し弁護士の品位を失うべき非行があつたものといわなければならない。

原告は、右保証金流用等のことは協議ができていたものであり、又訴訟事件は未だ具体的報告を要する時期に至つていなかつた旨及び原告は居所の確知を困難ならしめたことはなく特段に依頼者の信頼感を喪失せしめたものとは考えられない旨主張するが、この点については前認定のとおりであつて右判断を左右するに足りる事由があるものとは認められない。又原告は、右委任会社の一方的な訴訟委任の解除は弁護士の責に帰することのできない事由で弁護士を解任したことに該当するから、原告は右事件の謝金全額を請求できるので、所属弁護士会に紛議調停の申立をしその調停成立まで右保証金の返還を留保することとした、従つて原告は訴訟委任の解除までは破産手続の費用等として、右解除後は報酬額確定までの留保という正当な事由によつて右保証金を返還しなかつたものである旨主張する。しかし右訴訟委任の解除が必ずしも原告の責に帰することのできない事由によるものといい得ないことは前認定に照し明かなところであり、又原告において弁護士会に対し所論紛議調停の申立をしたとしてもそれだけで前認定を左右するに足りる事由があるものとは認められない。なおその後原告が昭和三十二年三月十九日右保証金十万円を阿久津支配人に返還し又同日右弁護士会に対する懲戒の申立が取下げられたことは前認定のとおりであるけれども、前採用の証拠を綜合して考えてもそれだけで前認定を左右するに足りるものとは認められない。

以上によつて考えるに、埼玉弁護士会が原告に対し弁護士法の定める懲戒規定により退会を命ずる懲戒処分をすべきものとし、被告がこれを維持し原告の異議申立を理由なしとしたのは、いずれも結局その理由があり相当に帰するものというべきであつて、これを違法又は不当といわれない。この点に関し原告は、右第一及び第二の認定事実及び保証金が返還され懲戒申立が取下げられたこと等によつてみるときは、右退会処分は仮に違法でないとしても甚しく不当なものというべきである旨主張するが、右主張はこれを採用することができない。

よつて原告の本訴請求を棄却すべきものとし訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九十五条第八十九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 薄根正男 村木達夫 元岡道雄)

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